中学サーフィン部顧問就任について。

お世話になっております!

山本 博也です。

今回は、日本初中学サーフィン部活動顧問就任した事について話していきたいと思います!

宮崎内の方は、新聞やテレビの露出が増えてきたため知ってると思いますが、海練が6月半ば過ぎからスタートしました。

さて、僕が何故抜擢されたかをまず話したいと思います。

僕は、青島海水浴場の目の前にある施設、”渚の交番”という場所で、年間常駐ライフガードとして5年間勤務していました。

日本では、ライフガードの年間雇用はほぼいなく、僕はパトロールや海水浴業務、青島ビーチパーク等業務主任をしていた。特に毎年の青島小学全校生徒にプール授業と、ライフセービングを教える事はとても楽しかった。

その中で分岐点だったのが学生へ海練だった。

何時も、職場の目の前の青島ビーチで、泳いだり、走ったり、ボードに乗ったりトレーニングをしていたが、ある日から子供達を呼び朝からトレーニングする日々が続いた。

学校前の朝練で、次々と保護者が連れてくる子供達を教えた。多い時は朝一から10人以上来ることもあった。

朝から元気にパドルアウトして、更に元気になって、学校にいく姿がとても嬉しかった。

内容は、走って泳いで、ボードにのりパドルしたり、波に乗ったり、とにかく海を好きになる様な事を一緒にしていた。

周りからは、有料でやる様に勧められていたがボランティアで2年以上やり続けた。

渚の交番をライフガードとして5年勤務していたころ、青島の宮司さんや、青島の会長さん、学校校長が”青島中学校サーフィン部”構想と、顧問への依頼を何度もしに来られた。

僕は、はじめ渚の交番という組織としてやる事を勧めたが、スタッフ内では経験がないことやリスクをとることができない事で、自分が個人として受ける形となった。

4月にはいり、コロナの影響で中学校が休校となり、スタートが5月半ばとなった。

サーフィン自粛もあり、ギリギリまで学校側と議論しながらも進めていき、ようやくプールからスタートさせることでサーフィン部活動がスタートした。

サーフィン部の影響で、去年新入生が6人だった事に比べ、12人も入部してくれた。

プールをみんなで綺麗に清掃して、ようやく水をはると、泳ぎと、レスキューの事などを教えていった。

時には体力テストや、陸上トレーニングをして基礎体力をあげることもした。

ようやくボードも、生徒全員分を揃える事が出来、海に入る前にボードパドル、コントロール、ドルフィンなどをプールで教えていき、先週ようやく、海でのデビューを果たせた。

7社も取材陣がきて、宮崎内では連日大きく取り上げられ注文を浴びている。

僕も取材される事が多くなったが、”安全に海を楽しんで、人を助けられるようなサーファーになって欲しい”と伝えている。

プロやオリンピックを目指す事を聞いてくる取材陣も多いが、とにかく海を楽しみ、長く付き合って欲しいし、そこを目指すのは、個人の自由だし、そうなったら素晴らしい事だと思う。

反対にサーフィン競技の厳しさも僕は知っているゆえ、視野を広くサーフィンと付き合って欲しい。

そして保護者も含め、お互いが守りあえる様なチームが出来た時、きっと素晴らしい体制ができ、この地をローカルサーファーがもっと盛り上れる未来を、僕はこの子達と一緒に作っていきたいと思う。

まだまだ機材や、ギアが不足しています。

必要がなくなったボードやウェットスーツ

、タッパーなどがあったら僕にコメントいただけたら嬉しくおもいます。

今年の秋ころには、大会を行いたいとも思ってます。

今揃えてるボードは、スポンジボードで中々勝てないし、個人のウェットスーツももってない子のほうが多いのです。

スタートしたての中学校サーフィン部、どうぞ応援よろしくお願いします。

山本博也

tnwing nazare days
2020/3/13金曜日いよいよナザレでtowingをする日が来た。初めてのtowingがナザレでやるとは出発当時思いもよらなかった。
前回のブログで書いてる通り、towingとはジェットスキーで引っ張って波を乗るもので、nazareのレスキューのスペシャリストのdavidに依頼してレクチャーをうけた。
当日は、サイズが3.5〜4.5mにサイズアップするものの風が朝から10m〜あり、昼間は更に上がってくる予報だった。
朝から何度も見に行き、チェックするがコンディションは良くならず、午後過ぎにdavidと合流する事になり、更に波は悪化したのでjetskiやギアのチェックをしにいった。
jetskiは、YAMAHAの4サイクルで、スレッド、towingロープも万全の状態で水に浮いてる駐車場に置いていつでも出動出来る状態を作っている。エンジンもバッチリだ。今後こういう体制を地元でも出来ると海の事故防止に貢献出来そうだと思った。
davidの船着き場の事務所にいくと、towingボードが置いてあり、持ち上げるととても重く、20kgくらいに感じた。ナザレ用は、他のtowingボードよりも重く設定されてるらしい。ほれかえりのえぐさと、バンピーになる理由からだそうだ。
その日は、夕方まで風は悪くなり諦めムードになったが、最終17:30〜風がまとまりミラクルな夕日に浴びた綺麗なブレイクとなった。
僕はあまりの壮大さに、davidに今からいきたいと言ったが、流石にクレージー過ぎると言うことで行く事が出来なくなった。
時間帯的にも遅いし、初めてのtowingにしてはデカくて危なすぎるという為だ。
しかしこの日がラストDAYという事もあり、諦めつかない僕の気持ちを組んで、davidは、明日朝一.1本やろうといってくれた。
日本行きのフライトが13:00だ。Nazareから空港まで2時間かかる。10じに出発したら間に合う。朝からスタートして2時間はサーフは出来る。かなりクレージーだが、気持ちはGOになってる為、その時何も感じなかったがやる事にした。
普通、ハワイでも何処でもフライト当日にサーフィンする奴はそうはいない。しかも初めてのnazareでのtowingでだ。普通の奴はしないだろうが、この頃から僕はむしろ楽しんでる感覚になっていた。
この日もプロのBIGWAVERと夜はトレーニングをして気持ちをあげ、明日への帰宅準備をして備えて行った。
次回に続く。

3/12.朝6:00〜起床。

今日は朝から風が強くて目が覚めると、昨日のパドルセッションで身体がバキバキだ。

やはり緊張と、寒さ、スープの量で身体はだいぶ無理していたようだ。

とりあえず灯台の方に波チェックしに行くと風が10mオーバー吹いている。

今日は回復の見込みはないので、jetskiドライバーとコンタクトをとり、jetskiレスキューとtowingミーティングをやる事にした。

towingをしないかと誘われたのは、3チームあった。一つ目は、ギャレットマクナマラチームのWLSの大会アシストチームだ。

もう一つは、ブラジルチーム、最後に、ジェットレスキューでtowingのプロのDavid langerdsだ。

僕は全員にあったが、Davidにきめた。

彼は58歳のbigwaverだが、目を見て命かけてくれそうなのと、僕に見合う金額でレスキューを引き受けてくれた。

1日、350ユーロ、役4万円と、燃料費80ユーロ、役1万円…5万円がかかる。これにカメラマン様だと2倍以上の10万かかる。

サーフィン1セッションで、この価格はみんな出した事はないだろう。

しかしこれもサーフィンのビジネスだ。僕はそこの最前線のプロとやれる事が価値があると思ったので、トライする事にした。

ミーティングルームでの会話はyoutubeでも残しているが、改めて見てほしい。

bigwaveでのtowingは初めてだ。

ライフガードのジェットは良く乗っていたが、小波で引っ張るくらいだった。

まず、davidの紹介を改めてしよう。

かれはアメリカのカリフォルニア出身で、マウイに移住し、長年jawsでのtowing時代を過ごし、ギャレットマクナマラが、NAZAREでショットを残したと同時にポルトガルに移住し、今は10年以上レスキューとtnwingのプロとして常に現場にいる、長年の戦士だ。

僕が理想としてるtopguns   の形をやっている人間だ。

彼と3時間ほどミーティングをした。

内容は、ジェットのレスキュー方法。

波のチョイス、手の話し方や、コントロールの説明、乗り終えた後等だ。

その後マリーナ(漁港)にある彼のジェットとオフィスにあるtowingボードやギアを見に行き、イメージを固めた。

3/13金曜日の大潮でかなりでかいし風が強い、不気味な数字だがTRYしてみるつもりだ。

この後、ジムに行きトレーニングしにいくと、towingのプロのメンバーと合流して本格的なメニューを目の当たりにしてビックリしていた。

その中には、女性で1番でかい波に乗った、フランスの”ダスティーヌ・デュポン”の姿があった。女性でここまで努力してる姿を見て、とても、励みになった。

いつかセッション出来るように頑張ろうと思えた。

次回 NAZARE towing本番について

前回のNAZAREのピークに近づくまで…から

呼吸をこのポイントと合わせていく、どんどんこの海と一体化するように合わせていく、水の流れ、スピード、水面のざわつき、水に近づく様に溶け合わせていく。

そうすると、水の流れの規則が読め始めていく、棚が呼吸している様に波がわれる、最初の滑り出しを安定してしっかり加速してささらないライン取りで落としきる。何度もイメージしていると、テイクオフしやすい波がやってきた。

板を波の呼吸するラインに合わせてパドルを始めるとやや、左手側に水の引っ張りを感じたのでノーズを進むようにパドルするとスピードが乗っていたが落ちテールが持ちがってきたので飛び乗った!

立つと全ての後ろのなみが切り立ち、ボール上に変化してこのままだと刺さると思い、体勢を更に落とし、テールを抑え込みながら、左レールを入れ込んだ。

レールがすべりだし、そのスピードの先のラインがみえたので板に全身でしがみつく様に加速し落とし込んだ。

なんとかボトムに降りると、真っ黒のモンスターが切りたって後ろからわれてきたので、一気にスピードにのり岸に向かった!

後ろで凄い力でブレイクするのを、水の力や、空気の動き、爆風を感じたのでスタンスを固め踏ん張った。

凄い量のスープにバランスを崩し、板がコントロール出来なかく揉まれた。

スピードを保ちながらスープに食われたのでそこまで衝撃的にもひどい揉まれ方をしなかったので、もまれながら”大丈夫”と頭でしんじながら揉まれていく、そうするとリラックスしながら水の流れを予測出来たので、パニックにはならなかったが、真っ暗な時間揉まれると、我にかえり始め心拍数が上がる。

水中で光を探しあわてず浮上する体勢と流れを探して、光が差し込んだ瞬間、ヨシと思えた!

波から顔を出すと、冷静に呼吸して周りを観察して、自分の板があること、次の波が来てない事に、そしてテイクオフ出来た事に嬉しくなった!

しかし、初めての波だし、ビーチブレイクなんでまた次の波がすぐくるかもしれないので、心臓バクバクしながらすぐパドルをフルにして沖に向かったのを凄くおぼえている。

やはりそれだけパワーがあるので、”危ない”と身体が反応している。

このスリルと張り詰めた緊張感、それから決めた後のこの瞬間が大好きだ。

何よりも頭が突き抜け冴え渡る感覚に見える。自信が漲ってくる感じだ。

次の波は完璧に決めようと思った!

2本目ライトの波、3本目レフトの波と、安パイの波を決める事が出来た。

オバケセットはリスク高すぎる為狙えないが、中型セットは、何度か引いてしまっているので、決めたかった。

寒さで手の感覚はもうないが、ハートはだいぶ燃えてた。納得いくメイクをしたい。

ここの波は、リップが持たず、ピークが持ち上がり面がガタついて、二段ぼれしてしまうが、観察すると、その手前に斜面が早めに発生する、そのタイミングで飛び立つしかない。”エアドロップ”だ。

最近だと、Eddie Aikauでみせた、jhon jhon flolensが見せたtake offがそうだろう。

近年では、あのテイクオフをする選手が増えている。

僕のGUNは重く厚く余り向いてないが、この波をメイクするにはそれしかない。

一か八か試す時だ。

セットが3本みえた。

呼吸を合わせる。

1本目は、パドルしてブレイクを見る、2本目ドンピシャのタイミングと場所に波がやってきた。

パドルラインを合わせて、GUNをこぎ進めた。波が切り立ちはじめるころには、ショルダーラインが一気に広がり、僕の視野の波はない一気にボール上に巻き上がる感じで、ぶっ飛ぶかもしれない。

いくしかない!

板が進み、リップが丸みを得る前に、テイクオフ、スピードに集中し、波の変化をみる。

リップが爆発するタイミングで、低姿勢にして、ノーズレールをさらに波の下にくぐる様にセットイン。次の瞬間、斜面が切り立ち一瞬レールが外れて浮いた。

これも予想していたので、後は板と自分のライン取りを信じて落とし込むしかない。

バシッとノーズが斜面につき、レールも入り板を足で掴む事ができた。さらに降りてつぎのボトム付近の惚れ帰りに備え、低姿勢で加速…スピードの先が一番安心する。

波は全リップが巻き上げ遅いかかろうと迫って来る、その中でチューブが見えた。

“Hyooooo”と叫びスープアウトした。

水中で揉まれながらも、”歓喜”で余り苦しくなかった。

浮上し、”エアドロップ”に近いテイクオフを決めれた事に満足した。

それと同時にこのテイク・オフの先にnazareのチューブラインが見えた事が次の課題となった。

4時間ほど寒い水の中にいたので体力的に限界だ、戻る事にした。しかしget in& outが1番怖い。

ダブルくらいの波打ちぎわでわれるショアブレイク。とにかく怖い。しかしなんとか上手く岸に足がつき一気にビーチに駆け上がった。

そのまま、大の字でしばらく寝転がり、空に向かい全てに感謝した。

この瞬間が何より好きだ。涙が出そうになる。自然から全ては必然で、皆んなのおかげでここに入れるし、ひとの為になる事をしたいと思える、この自然からの教えが幸せなんだ。

崖を上がると、皆んなから祝福された、そしてトウイン(ジェットスキーで牽引して乗る)をやらないかと、何人からか誘いがあった。

とにかく腹が減っていたので、Nazareの丘のレストランで、海鮮料理を食い尽くした。

そして、カメラマンと仲間と次のプロジェクト、”トウイン”(ジェットスキーをつかい波にのる)の準備する事に決意した。

次回はトウインについてお話しします。

youtubeでNAZAREの動画あげてるのでまたみてください!

NAZARE day 3

3/11水曜日 5:30起床。

暗い内に、ボードを車のキャリアに乗せ、波チェックへ。

灯台から見下ろすと風がないせいか霧で真っ白で何も見えない。

カメラマンとジェットチームと連絡を取り合い待機して、7時前から霧が少しとれたので、パドルインすることにきめた。

波は15〜20feetありそうだ。

ギアは、準備していたがパートナーがいないのでナーバスには、少しなっていた。

でも、ここでの1人でサーフ経験をする事で、恐怖への壁を少しだけ登りたかった。

今世界中で感染されてるコロナの病だったり、運命だったり、あらゆる人からの攻撃だったりから負けない自分しかできない”力”を、この波に挑戦する事で、皆んなに共有したいと思い、自分をふるい立たせた。

隣町の細い映画に出てきそうな路地をぬけ、ビーチサイドに駐車して、着替えてボードにWAXを塗っていく。だだっ広いビーチを1人崖に向かい足を運ぶ。

呼吸を整え水に入る前に禅を組んだ。

怖さはなくなり、晴れ晴れした気分になった。

街並の人や崖の上から手を振るもの、声援する者もいた。

こういう声援は何より励みになる。

NAZAREのブレイクの反対側のビーチは穏やかで、肩から頭の綺麗なブレイクがわれていた。

そこを超えて左手に聳える断崖絶壁の灯台の周りをパドルしていく、水は日本よりやはり冷たく、感覚的にはトロッとした感じに思えた。飲んでみるとめちゃくちゃうまかった!

上手くてガブガブ飲んでしまった。

海鮮料理がNAZAREの街に多い理由がわかった。「無事メイクして海鮮料理食うぜ」と思った。

灯台の先端ではウネリが三角に集まってきていたが、沖合いでわれる気配はなかったが不気味すぎたので、沖の方を遠回り灯台超えした。

ピークをまず探す。

海に入る前にあらかじめ、崖からの横軸と、岸からの横軸に目印的な建物を記憶しておいた。想像していた場所と、入ってみるとやはり誤差があるが、波や潮の動きを見ながらゆっくり近づく。

セットでわれるポイントも抑えていたので灯台側の左側の沖合い、それから右側のライトの波だ。

ビーチブレイクなのでたまに、ミックスしてでわれるセットもあるので注意しないといけない。

やはり、1人という事で、ハードなワイプアウトを避ける為、セットを避けた手前のブレイクを狙う事にした。しかし、それでも15feet以上の波が色々な角度から襲ってくる。

 寒さとの勝負、カミングアップする為風が悪くなる要素がある為、時間をかけすぎられない。ジェットスキーチームには、入る前連絡したがまだこない。

 あらかじめそんな展開もあるかもとおもい入る前3日間、海の流れやブレイクをチェックしていた事を思い出し冷静になる事に集中した。

ブレイクポイントに近づきながら自分の入ってる場所から地図を引っ張り縦軸と横軸を合わせていく、この作業をGPSと呼んでるんだけど、潮と風、波での流れから、ミリ単位で合わせていく。

この作業を冷静に出来ないとデカイ波には乗れない。このGPSを立てるのに時間がかかった。

照準をあわせた場所にブレイクがあってきたが、ブレイクの早さと、水の集まりの量が半端じゃない。

乗ろうと思っても、パドルして下を見ると大きな丸い落とし穴の様な波がとなって、食らいつくそうとする、黒いモンスターに見える。

絶対くらいたくないと、息があがる。

なかなかタイミングが合わないのは、初めての場所と彫れ方スピードが違う。

パドルスピードを合わせてないといけない。何度か試みるがやはり、あのサイズのスピードでわれると板を落としきれない。

覚悟が必要だ。絶対決めてやるという強い気持ちをもって飛び込む覚悟が…

次回に続く

3/10 5:30起床。

サイズがある日は、もう時差関係なく勝手に目が覚める機能がみについてしまった。

昨日無理したパドルインで身体中が痛いが、朝のNAZAREのブレイクを観に行った。

今日は、滞在期間5日間で1番波が小さく、波高ブイは、3〜2.5mにスモールダウンなんで、パドルサーフィンするにはいい条件のコンディション。

Nazareのビーチと灯台を見て、”まだ全然サイズ下がってない…”と思い、現地のサーファーが現れるのを待ちながら、ブレイクを観察。

ノーバディーで、1人だけ海に入るのは危ないし、昨日発覚した、エアボンベがない。(空港でバックから抜かれてる)

もしも、このサイズでも巻かれたらエアボンベないとまずい。

エアボンベを買いに隣町の、マリーナ(漁港)に行く事にした。そこはYAMAHAのジェットスキーや船のドックだ。

ジェットスキーレンタルや、レスキューチームとも連携していて、NAZAREでトーインしてるチームは御用達の場所だ。

挨拶して、エアボンベをGET。1本3500円だ。僕のエアリフト(ライフジャケット)は4本必要だ。

ジェットスキーレンタルや、チームレスキュー依頼の話もして、また波チェックに戻る事にした。

8:30〜灯台にもどると、風が鬼の様に吹き荒れ、風速10mとなっていた。

波情報では、風は午前中は弱い状況でクリーンコンディションだったが、NAZAREは時期的に終わる寸前。やはりタイミングが悪かったのか…諦めモードになった。

そんな時、フランスのカメラマンから連絡きて”youtubeを見たから明日取りに行く”

と連絡がきた!

こんな僕を撮りに国を移動する情熱に感謝し、とてもやる気がでた。

朝飯を済ませ、トレーニングジムに行く事にした。

BIGWAVE専用のトレーニングジムだ。

サンドバッグや、ロープ、最新のギアや、プログラムがあり、朝だったので貸し切りだったが、コーチのメモを見て、有酸素運動と、トゥインでのメニューをこなした。

やはり疲れた身体にも、適度な運動は身体とメンタルに効く。徐々に回復してきた。

その後、僕独自の呼吸法をやって気持ちを落ち着かせる事ができた。

後は、友達の藤村篤プロから渡されたボディークリーム”shaka barm Hawaii”を身体の痛みがある様々な部分に塗り込んだ。

本当に、聴いてすぐ痛みが消えて身体が軽くなったのでお勧めだ。

さて、明日は3/11.毎年本来なら東日本大震災の防災イベントを企画しているのだが、コロナで出来なかった。

僕は、毎年この日は、波乗りしないのだが今年はそういう思い想いも乗せてのトライになると思っていた。

しかし、僕が今出来る事は、今生きてる事に感謝して、生きてる限り最善のことをし、海への敬意を持ち、海に挑戦し成功する事が自分の出来る供養だと信じて、遠い日本に祈りを捧げた。

 そして、こんな僕を許して下さいと、愛と感謝を持って明日あの大波に乗ると神に誓った。

明日は、遂にパドルサーフィンするには、最適なコンディションだ。

ジェットスキーレスキューを引き受けてくれる”.David”と明日の段取りをすませ、早めに眠りについた。

次回はパドルサーフィンNAZAREです。

また長文になるのでじっくり読んでね。

3/9月曜日6:30

時差ぼけの中目が覚めた。

朝一から風が強く吹いていて、案の定サーフィンはできないようなコンディションがだ。

とりあえずナザレの丘灯台の方から海をチェックすることにした。

灯台の右側からわれるnazare

有名なnazareの灯台だ。遂に着いたと思い、すべての状況を把握しようと務めた。

波高3.5風速は大体10メートル位吹いていてノーバディーだ。

今日の今日海に入るのは体力的にも状況的にも危険だと判断してまずは町全体をドライブして雰囲気を確かめた。

街並みがとても素晴らしいロケーションで狭い路地や1通が多くて家が密集していた。どれもおしゃれでかっこいいヨーロッパの建物で、特に灯台手前の、大きな教会はとても美しかった。

その手前のカフェで、エスプレッソとマフィンを食べた。合わせて350円位でとても安かったし、疲れた体に染み渡るほどおいしかった。それが朝のルーティンとなった。

宿に戻り、スタッフにこれから誰かステイするのか?と聞くと答はNOだった。

やはり、3月の半ばになるとシーズン的には遅く、11〜2月がbigwaverがこの施設に集結するみたいだ。

とりあえず裏庭で、ギアのチェックをした、持って来た物

  1. フルウェットスーツ(dove)
  2. ブーツ、グローブ、(dove)
  3. ヘッドキャップ(dove)
  4. インナー(dove)
  5. JAWS用リーシュコード(DAKINE)
  6. ライフジャケット(patagonia)
  7. エアリフト(Quick silver)
  8. エアボンベ✖️4(YAMAHA)
  9. hotjel✖️2
  10. 冬用WAX✖️3(sexwax)
  11. サプリメント(tegemocos)
  12. クリーム(Shaka balm)                                  

こんなところだ。

僕にGUNを貸してくれた
ブラジルNazareチャンプのvinyだ。

8のエアボンベは、空港で勝手に抜かれたので現地で入手するしかなかった。

あと、持ってくるはずのGUNは、飛行機に乗せれなかったので落胆していた。

そうこうしている内に、仲間から連絡が入り、板をかして貰える事になった。

ライルカーソンというハワイのシェーパーの板で、ルーカスチアンカが昨年乗っていた板だ。自分のライバルであり、親友のviny(ブラジル)が、使ってくれと二本用意してくれた。

本当にありがたい。

板の準備をしていると、ある男がこの宿に現れた。

Andrew cotton(アイルランド)、このnazare付近のエース的存在で、常にヨーロッパ付近でのシーンでは登場し、以前ワールドレコードも出した事がある大物だ。

僕は、すぐ挨拶しにいき自分の意思を伝えアドバイスを貰った。

1.パドルサーフィン

 基本はレフトの波だが、ライトもいい波があるから、少し左側で待つ方がいい、20フィートの波はミックスアップするから、右に待ち過ぎるとカレントにハマり食らってしまうなら気をつける事。

2.ゲットイン&アウト

 サイズがそこまでない場合は、灯台の右側でいいが、でかい場合は、灯台左の下町からパドルアウトした方がいい。

 パドルして戻る場合は、デカ過ぎる場合は、また灯台アウトをパドルして帰るか、なんとかビーチに滑り込むかのどちらからしい。

惜しみなく、Andrewはアドバイスをくれた。この場面もyoutubeに残してあるので見てほしい。

とりあえず、身体は長旅でボロボロだったが、パドルインだけして、水慣れとボードに慣れようと思い。灯台左側のビーチからパドルインすることにした。

カメラマンがいなかったので映像を残せなかったが、波打ち際のブレイクがヤバ過ぎた。

果てしなく沖から次から次にビーチブレイクでわれ、たまった水が、波打ち際で合わさってダブルアップして、まさにnazareのブレイクが水のない場所にトリプルくらいのサイズで叩きつけられていた。

とんでもないとこに来てしまった…と思ったが、もう着替えて長いビーチを来てしまってる。やるしかない。

が、結局3時間くらいかけてボコボコもみくちゃにされて、なんとか1本滑って終わったくらいで、酸欠でビーチにしばらくうずくまるくらいキツかった。今までのポイントで1番ハードなゲットだった。

しばらく宿で休み、夜はnazareの丘にあるケバブを食べ、時差ボケと波を喰らいすぎて、ハイになった身体にビールを流し込んで、nazareのブレイクを見ながら、ノスタルジックな気分に浸っていた。

この日からは、満月になり一日一日を大事に生きようと月に誓い眠りについた。

次は、「for the day nazare」

お楽しみを。

3/8出発の日がきた。

初のヨーロッパ旅行で、波の状況や宿までの移動方法、ボードをもっていけるのか?パートナーはいるか?など出発前に凄く悩み、チケットを買うに買えない状況だった。

当日、妻に「今日ヨーロッパいってくる」と伝えると流石にびっくりしていたが、最終的に「頑張れ」と手編みのミサンガを作ってくれ脚に巻いてくれて送ってくれた。

僕の妻が日本Iのbigwaverだと思う。

チケット代は、ギリギリに取ると意外と安くなり11万円くらいだが、移動時間は、行きが36時間、帰りが42時間と、約4日間は移動時間となり、滞在時間は5日感のハードスケジュールとなり、体はボロボロになると予想された。

出発当日友達に連れて行ってもらって空港でボードチェックをするとやはり4便の飛行機を経由することで自分のGUNを持っていくことができなかったことにとてもショックを受けた。

しかし行ってみないと何も始まらないのでとにかく友達に連絡しまくって宿や、GUNそれからカメラマンなどに連絡をとって飛行機に乗った。

寒い地域なので冬服やウェットスーツそれからブーツやグローブ、ヘッドキャップ、ライフジャケットなどで荷物はパンパンで移動はとても大変だった。

宮崎から関西、エミレーツ航空を使ってドバイからリスボン”ポルトガル”まで全部で30時間オーバー乗って到着した。

空港では予約していたレンタカーが言葉が通じなかったため借りれず2時間後にようやく借りることができて道路状況がわからないためnazareに到着したのが、夜中になっていたが、宿は開いていて僕を気持ちよく迎え入れてくれた。

宿を見てびっくりしたのは、本格的なビックウェーバーの施設でとてもきれいで大きく優しいスタッフによる接近で、僕1人しか滞在はいなかった。寂しかったけど集中しできると思いゆっくり眠ることにした。

この施設は、nazareの街がbigwave用に作られた施設の様で女性は入れないみたいだった。

youtubeでもUPしているが、一人旅ほど楽しくて、身につく物はないと痛感した、人との知り合い数、努力して身につけた言葉、英語での、交渉。未知の旅は不安だけど、目的がはっきりしてるとなんだかんだ自然にたどり着く事が出来るし、風景や、興味がある事に少しずつ挑戦しようと勝手にし始める。

新しい自分を発見出来る、一人旅をする事をとてもお勧めしたいと思う。

今回の反省点は、WIFIが空港でpick UP出来なかった事。ポルトガル語をもうちょっと勉強しとくべきだったとおもう。

さて、次回はnazare到着してからの挑戦までの現地の動きをUPしたいと思います。

2020/3/7〜3/17の間、僕自身初のヨーロッパ、”鉄砲伝来の元地”ポルトガルに行く事にした。

目的は、世界で一番の大波の記録が出ているポイント、

“nazare”に挑む事だ。

ポルトガル NAZARE

何故挑もうかと思ったかというと、幾つかの要因はあるが、一つはこの3月のフルムーンシーズンに条件があう場所が、ヨーロッパしかなかったからだ。

ハワイ”JAWS”や、カリフォルニア”marvericks”等は風が悪かったり、サイズ不足であったが、今年はヨーロッパが当たり年だった。

それからもう一つの要因は、内面的な物だ。

自分の置かれてる立場や、組織帯に限界を感じていたし、新しい事をやる為には何か失う事の恐怖から逸脱する為の挑戦をしたかったからだと思うし、自分の信念を貫き通して日本を元気にしたかった。

とはいえバッシング覚悟で臨んだし、最大級のリスクとプレッシャーを自分に与えた事で家族を含め、お世話になってる方々に心配とご迷惑をおかけした事はこの場で申し訳ない事をしたと思っている。

さて、旅の日程は、フルムーンの時にしか動かなかいと決めていた。これにも理由があり、2019は台風や低気圧も含め、日本で大波が来たのは、フルムーンの時ばかりだった。

いい事も悪いことも起こった。お盆には、ボードが突き刺さり肺が一つなくなったり、12月には大波を目の前にして乗る事が出来なかった、1月には、大事なGUNが折れたり、2月にもnazareにいくはずが大会とかぶりいくのを断念して最高な波を逃した。

それでも一つだけ確かなのは、俺の魂は生きてるという事…

生きてる内に自分が精一杯出来る事が、自分の最大の挑戦をする事だった。

そうして1人でポルトガルに行く事を決意した。初めての場所で何もわからないから、発信をし続けると、スポンサーや仲間達から援助があった。

情報や宿、ジェットアシストを紹介されたり、とても嬉しかった。

カメラマンも出発当日見つかってわざわざフランスから駆けつけてくれた。

問題は、ギアと寒さと言葉だ。

何時もお世話になっている氣サーフボードは、36時間の移動の為4便経由の為持っていく事ができなかった。何より信頼しているGUNだったのでとても精神的にきた。

寒さは宮崎生まれの僕には、恐怖しかなかったがdove特徴のwetsuitがあるから大丈夫と言い聞かせた。

言葉は全く勉強しなかったのでとんでもない目にあった。

そうして出発前にyoutubeで”nazare挑戦”の気持ちを発信して出発した。

自分を奮い立たせる為、発信して逃げ場を無くした、今思えば精一杯ハッタリをかましてよかった。ハッタリも本当になると自分でも思えたから。

山本博也Youtubeチャンネル NAZAREへの決意

山本博也youtubeで5日間の挑戦がUPされているので見てほしい。

これから順をおって、動画の解説をしていきたいと思うので興味がある人は是非見てもらいたいと思う。

山本博也チャンネル登録もよろしくお願いします!

という事で次回”nazareへの道のり”を解説していきますのでまた、是非みて下さい!

topguns 山本博也

-topgun-
皆様、はじめまして山本博也です。
topguns公式websiteにようこそです。

4月18日(土曜日)を持ちまして、topgunsのwebsiteを”aoshima navi”さん協力により立ち上げました。

topgunsとは、2014年にハワイマウイ島にてJAWSという大波に乗った際に、自然に頭の中に出てきた言葉です。
そこから今までSNS上で発信してきました。

このtopgunsの活動は、単にbigwave集団ではなく
  “ライフガード” ✖️ “surfing” =topguns
安全にサーフィンを盛り上げる海の戦士を作る事が目的です。

今までは、宮崎ライフセービングと渚の交番として活動をしてきましたが、今後独立して活動を発信していけたらと思っております。

自分自身では、topgunsと名乗り活動、発信してきて5年くらい経って、いったいなんなの?
っていう声もあったんだけど、今回ポルトガルのNazareに行った事でやりたい事、目標がハッキリしました!
もっとbigwaveを世間に理解して貰いたい。
海の安全の為のスキルを役立たせて、サービスを展開して、救助体制を整えたいと思いました。
ポルトガルやハワイはもうとっくに出来てる。日本だからっていう理由で諦めたくないし、きっと成り立つはずだと思うから挑戦しようと思う。

そして、宮崎や日本、世界のシーンで活躍できるチームをつくりたいと思います。

とはいえ時期も時期なんでwebsiteを通じての情報発信をブログやSNS、Youtubeを連動させて活動しようと思いますので、今後の動きを見て応援していただけたら嬉しいです!

今までやっていたサーフパトロールも復活するつもりだし、レスキュー法や、独自の波予報や、ギア説明、メンタル強化、トレーニング、未来を育てる活動も幅広く発信していくつもりです。


“最後に”
新しい時代がやってきます。
新しい大きな波がやってきます。
僕は変化する事に決めました。
変化に対応してこの波に乗るかで大きくこれからのライフスタイルが変わります。一緒に冒険の船に乗るクルーをtopgunsは集めてます!
この時期に一緒に”祭り”をする準備をしましょう!
みんな俺を信じてついてき貰えたら嬉しいです。よろしくお願いします!

topguns代表   山本博也


2014/3/2 at peahi